2007/12/03

ブログ移行しました

突然ではございますが「リュウさん通信」は“鹿児島ブログポータル「Potika」”へ移行いたしました。
登録されていた皆様にはお手数をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

新しいURLはこちらです。
http://ryusan.potika.net/

更新日 @ 10:18:43 | 振り向けば六十路

2007/11/09

「地理」と「歴史」

お顔が真っ赤だ。その方は猛烈に怒(いか)っておられた。
自分は、その方のご自宅玄関に立ったまま。
あんなに怖かった時間は過去にない。
「帰れ!」とおっしゃる。
そう言っては、奥へ引っ込まれる。取り付く島もない。
初対面ではなく、数年来の顧客だ。気難しい方だと聞いてはいた。
自分への気難しさが初めてで、緊張この上ない。
何故お怒りなのか、その瞬間は分からなかった。
ここで言われたとおり帰ってしまったら一巻の終わり。

夫人が取り繕ってくださり、なんとか応接間へ通していただいた。
長く感じた時間待たされ、しぶしぶながらその方が入ってこられた。
「その方」を、ここでは仮に「金丸氏」としておこう。
ひとしきり怒りを話された。神妙に受け賜わる。
そのうちに「お前、焼酎飲むか?」と、おっしゃる。
畏る畏る頂戴した。旨かった・・・!☆
何故旨いのかと、縷々(るる)薀蓄(うんちく)。
焼酎をお湯で割る、それだけなら皆やる。燗(かん)をつけると、よくブレンドされ、まろやかさと旨みが増すと言う。
・・・息子さん自慢も始まる。飲むほどに酔うほどに意気投合し、帰りには当時の貴重品、輸入ウィスキーを一本、頂戴して辞した。
このことがあってから、金丸氏とは一層親しくさせていただいた。

当社が受注し自分が担当。
お役所の、ある部署某課で定期刊行物を発行していた。
30年ほど前の、これは自分が駆け出し時代の古いお話。
今もその課があるかどうか知らない。

その課には正規職員のほか、同じ部屋に外郭団体的な別組織があり、発行業務はその団体に委託されていた。
外郭団体トップは金丸氏。そういう地図だった。
しかし自分の目には二つの組織に感じられず、皆さんが同じ立場に思えた。
原稿執筆や取材を正職員の方々もなさる。
一つの目的に力を合わせておられ、一体に思えた。
そう思えたのは、その部屋の「地理」や「歴史」に無頓着だったからだ。

外郭団体トップの金丸氏は、その課の課長から指揮命令を受ける。
氏にとっては息子か孫のような課長から、予算面や記事内容まで管理される。
それでも金丸氏は、完璧な定期発行に責任を持たされる。
ここだけのハナシ、その部屋の中では互いに発行主導権を争うような空気が淀んでいたようだ。


原稿一本に2、3回の校正が入る。最終チェックは金丸氏。
あの日、金丸氏は取材出張で不在。
発行日に追われていた自分は職員にチェックを受け、印刷工程に回した。
このことが、ただでさえ不安定な立場の金丸氏をナイガシロにした。
「誰が渕上印刷にとっての客なのか!」。

「オレが最後に目を通すと日頃から言ってあるじゃないか!」。


どなたがキーマンなのかの地理。
どういう経緯でその団体が組成されたかの歴史。
予算執行権は誰なのかの地理。
何故金丸氏が一方のトップなのかの歴史。
営業マンの基本、客先の「地理」と「歴史」を知るべし。


言うは易し。
しかし、行うはなかなか険しい。

更新日 @ 14:55:18 | 振り向けば六十路

2007/09/26

みてきた中国:「人民こそ主人公」2の2

「訪問団のぞろぞろ歩きに飽き、勝手に行動。
小学生に卓球で負けたり、自転車群団の中でペダルを踏んだ。『ヤァ、陳さん、呉さん、孫さん。ボクも柳(りゅう)さんだ』と、人民の中に入り込んだ感激。精神愉快」。

自転車を貸したヘンな男が、なかなか帰って来ない。宿舎に戻ると、ひと騒動あったようだ。
写真の自転車籠に見えるミカンを差し上げ、彼女に機嫌を直して頂いた。

写真
「居住者ではなく、通過者だからウレシがっておれる。
素足の田園生活。電化もされないのどかさ広さ。ヤミ市さながらの商店街。民生品が並ぶ百貨店。文化とは、ぜいたくなもの。
モノの豊かさではない。貧しい中にも自分の心を和(なご)ませてくれたのは、人々の澄んで輝く目のせいか」。 写真 「帰りに寄った香港が毒々しく感じた。両極端の世界を短期間で目の前に並べられ、人間の幸福は物質の多寡だけではないと思った」。

香港のガイドが言う。「ほら、あのビルの蔭に居る、あのオバちゃんはスリです」。
昨日まで観た、のどかな田園とは正反対だ。土地の狭い香港島。高層ビルやアパートが林立。な、なんと!坪単価が7千万円だという。
横に広げず、上に伸ばすしかない。

「初めての山々を自分は驚きの目でみる。
あの山だけしか見たことのない桂林の人々は、『驚くことはない。山とはこういうものだ』、と言うだろう。この人達に桜島や富士山、はたまたカナディアン・ロッキーやキリマンジャロを見せてあげたい。
人民こそ主人公。中国はこれからどこへ行くのだろうか」。

天安門事件で、民主化の遅れに各国から非難を受けていた。
当時の中国指導者曰く、「人民こそ主人公」。その言やよし。
25年前の中国は、みんなが同じように貧しかった。そのためか、人民には等しく不平不満はなかっただろう。
25年経って北京、上海を見た。オリンピックや万博を控え、中国経済は過熱しているが、地域や個人の経済格差が極めて激しいようだ。
年収3,500円の家族が居る反面、5億円のマンションに住む人も居る。3,500円は日給ではなく、年間の収入だ。これで共産主義国だと言えるのだろうか。
中国はこれからも、何処へ行こうとしているのだろうか。

《講評》
稚拙な文章ですが、たどたどしい中にも懸命さが感じられます。 「桂林(中国)の人々は、あの山々、共産主義という山しか知らないし、知らされていない」、こう言いたかったのですか。そして、あなたが見せてあげたいものは自由主義という山々なのでしょうね。
審査対象からも外れましたが、落ち込まずに努力を続けてください。あなたが、もっと読書量を増やせば、文章力もアップします。
更新日 @ 9:02:41 | 振り向けば六十路

2007/06/27

みてきた中国:「人民こそ主人公」2の1

鹿児島からも上海定期便が開設され、三年前に北京・上海に初めて行った。


「自分も生活が苦しいのに、敵国日本の子女をかくまい、育ててくれた」。
このことだけで中国国民のイメージが自分にとっては、すこぶるいい。
「そのこと」、「そのもの」の持つ情報の量によって、人の受け止め方は違うものだ。
子どもや家族を大事にする。遠い昔から、そういう国民性を中国人は持っていると、今も思い込んでいる。


写真

その中国に25年前(昭和57年)にも行ったことがある。
大陸の南、桂林や広州だった。
この写真の子どもたちが当時5歳だとすると、いま30歳だ。
帰国から数年後、20年ほど前にエッセーを書かせて頂いた。
南日本新聞夕刊企画、「思うこと」欄。執筆者一人が10本を書く。その中の、題して「山々の形」。駄文であっても自分には好きな短文。
久々の「リュウさん通信」、書くにこと欠いて今日はそれを引用する。
その頃も今も、稚拙な文章力、感覚の幼稚さは変わらない。


「ほんの入り口だけだったが、中国に行ってきたのは七年前。
生まれはミッドウエー海戦の年。大陸の従軍や引き揚げという経験は勿論ない。従って中国に『郷愁』があるはずもなく、旅の予備知識にと日中合作映画『未完の対局』を観た程度で発った」。


「中国はすばらしかった。
『二度と行きたくない。設備が悪く食事がまずい』と言う人もいる。
空腹は最大の調味料。生温かい麦酒(ぴ~ちゅう)もないよりまし。
餓死しなければいい。こう思い込ませるほど、桂林にほれた」。

写真 写真

「感動とは新しい体験。行けども尽きぬ壮大な奇勝。
あれもやはり『山』と呼ぶのだろうか。
ニョキッと突っ立っているだけでなく、幾重にも重なる。何ともすばらしい山水画の世界」。再見(つぁいちぇん)。

写真
更新日 @ 10:02:31 | 振り向けば六十路

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